せんちめんたる。

日常で不思議に思ったこと、ピンときたことをサラッと書くだけのブログです。いわゆる雑記系。

可哀想っていう言葉はたちが悪いって話。

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特に意味なし。ただこの言葉も腹立たしい。

「 可哀想。」

はいどうも。6度目まして、せちです。(今日の話はほぼ世間への愚痴です)

ニュースを見てたり、人の不幸話を聞いていると、誰かは必ず言いますよね(^^♪

でも、可哀想っていう言葉はたちが悪いと思うんですよね

ちなみに僕は可哀想と頻繁に言う人を信用していません。

あ、蔑みの意味での可哀想は別です(^_-)-☆

 

可哀想とは?

弱い立場にあるものに対して同情を寄せ,その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。同情をさそうさま。(三省堂 大辞林参照)

※ちなみに可哀想や、可愛いは当て字です。

 

なぜ可哀想っていうの?

可哀想は、実は可愛いと語源が同じで、可哀想が転じて可愛いという言葉ができたらしい。弱者に手を差し伸べたくなる感情のことを可愛いといったそうで、気の毒などの意味が可哀想、愛らしいが可愛いに変化していったそう。

可哀想は偽善!というか…

 意味などを見て分かった人もいると思いますが、要は自分よりも立場が弱いと

思っている人を気の毒に思う感情らしいです。

そんなことないって言う人がいると思うけど、ほぼ全員が自分よりも立場が上にしか感じない人を可哀想って思わないはずですそして、可哀想と思う対象に実際に手を差し伸べる人もほぼいないと思う。(そんな奴たくさんいたらマザーテレサとか別に有名にならないからね。)

 

実際に助けるわけでもなく、安全圏から気の毒に思い、他者にいい顔をできる、

なおかつ可哀想に対して反論すると人の心を持ってないかのように言われるので反論ができない。偽善者には完壁な言葉ですよね(^_-)-☆

最後に。

ぼくは生きてきて蔑みの念を込める意味でしか可哀想という言葉を使ったことがありません。なぜなら直感的に可哀想と言った対象がさらに惨めに聞こえるから。

 

とある人も言ってたけど、感情を強制的に共有させようとする言葉、いかにも当事者を代弁しているかのような言葉はずるい。

なぜなら、対象がつらいかのように決めつけて、その感情を共感できるかのようにふるまう言葉、可哀想。これは偽善の言葉以外の何物でもないと思う。

 

世界中の誰か1人に共感してもらえると嬉しいです。

それではまた(^^)/